しんどい

 かなりしんどい。甘えだと言われてしまうことを承知で書くけど、4月を機に生活も自分自身もかなり良くなったのに僕の長年の悩みである鬱からは逃れることが出来ない。大学や実家、人との通話では、精神的に安定した人間を装ってはいるけれど(多分周囲にはバレてますね)、それは僕がエミュレートしている偽りの社会性にしかすぎない。本当に成熟している人間にはそれが見抜かれてしまっているであろうことがかなり情けないし。

 僕がどれだけ頑張っても僕より先にスタートを切って前を走っている人達にはなれないのだという事実で胸を痛める。最近は自分の内面の幼さとなんとか向き合おうと頑張っているつもりなんだけれど、ちょっとしたミスですぐに精神がダメになってしまう。洗濯機が壊れてしまったり大事にしてたコップが割れちゃったり、そんな些細な一つ一つのミスがツキのなさだったり、社会や世界に自分自身が否定されてしまっている気になる。

 

本当はもっと長く書こうと思ったんですけど鬱がひどいのでこの辺で終わります。アニメを見たり本を読んだりゲームをしたり音楽を聞くこともしんどいです。もう何もしたくありません。生活はそれでも続いていくのですが

 

 

僕の未来は明るいんでしょうか?そうであることを祈らずにはいられません

 

 

 

僕が死んだ時は「傍観」を流してほしい

 一発目からかなりぶっとんだ名前の記事を書いてしまうが、これは僕の敬愛するブログ「解毒される日常」の最初の記事のリスペクトである。(パクリって言わないでね)

 

yamakawa1205.hatenablog.com

 

 このブログを知ったきっかけは高校時代、受験勉強そっちのけでバンドとかボカロの歌詞考察の記事をネット上で漁ってた時に偶然見つけたものだ。

記事の更新が去年の5月で止まっている上に、移籍先のサイトも更新が全くないので、管理人の「山川草木」さんは今どこでなにやってるのかなぁ、という思いが募るばかりだ。(記事を見返す限り、2018年当時、理系の院生だったらしく、今は社会人として忙しい日々を送ってらっしゃるんだと思う。)

 

 偶然にも僕自身が現在「TK from 凛として時雨」の彩脳 TOUR 2020コロナウイルスの影響で公演が延期になってしまったが・・・)のツアーチケットを保持している事もあり、このブログで執筆する初めての記事はこの人のリスペクトになったらいいなぁ、って思っていた。

 

 新アルバムの「彩脳」のジャケットの執筆が石田スイ、まさかの東京グールのコンビによる突然のタッグという事もあり、時雨リスナーからしたら歓喜ものである。僕は音楽配信サービスのspotifyでしか最近音楽を聞かないので、アルバム全ての曲を聞けたわけではないが・・・。早く全曲解禁してほしいなぁ。ジャケ買いすると家のストレージも圧迫するし金銭的にきもキツイので。

 

 タイトルにもある通り、山川さんが自らの最期を彩りたい曲にMissing Lingを選ぶなら僕は「傍観」を選ぶだろう。

 

www.youtube.com

つまんない記憶ほど 切なく蘇える
殺したい記憶ほど 頭を支配する
どこかで見た様な風景 どこかで見た様な夕景
鋭い 冷たい 視線 景色

僕になりすましている自分を ゼロというナイフで切り裂きたい

僕は知らない 僕は見えない 僕は汚い 僕は消えたい

君は知らない 僕は汚い 僕は見えない 僕は死にたい

 

 この歌詞が指し示す通り、自らの希死念慮をポエティックな言葉や言い回しで修飾せずにTKが見事に歌いきっているところが僕はとてもすきだ。サディスティックだったり感情だったり記憶だったりのワードがちょくちょくTKが詩を書くと頻出するけどこの曲こそその最高峰だと思う。

 僕になりすましている僕をゼロのナイフで切り裂きたいという思い、おそらく大小あれどそういう思いは誰にでもあるんじゃないのでしょうか。それがいわゆるペルソナだったり多面性だったりするんですが。よほどの異常者ではない限りそういう事を演じ続けてることに対して、罪の意識を感じるんじゃないでしょうか。いやそれは罪ではないのかもしれません。私たちの誰もが本質的には気狂いで、所詮は文化の影でまともだとされる人間の仮面をかぶっているだけなのではないでしょうか。

もし僕が亡くなるようなことがあったら「傍観」を流して僕の死を嘲笑ってください。

眠いのでここら辺で終わります。はよコロナおさまってくれ。